社会と心を考える

研究します

学校のセーフティーネット

旧来型のセーフティーネットについては、その給付水準を過大視して、困窮した人々が横たわることができる「ハンモック」のようなものと受け止める有権者の公的扶助観があったためこのようなレジームは支持されなかった。

これに対して、包摂型の施策は、しばし用いられる比喩を借りれば、これまでのセーフティーネットの弾力性を強め、「トランポリン」や「スプリングボード」にしていく、と主張する。 

引用:(宮本太郎 「転げ落ちない社会 困窮と孤立をふせぐ制度戦略」)

  

 つまり、(旧来の)公的扶助を受ける人達がセーフティーネットに依存してしまう、また、依存させてしまう。というマイナスなイメージが有権者の公的扶助観であった。

 

 それに対して、近年の包摂型の施策は、例えばイギリスが掲げる「福祉から就労へ」というように、公的扶助に依存していた人たちが自立できるよう、また、させるようなやや選別主義的な制限付きの環境を作ることで、彼らを再び社会に取り込むことが出来たため、有権者からのマイナスなイメージを払拭し支持を得ることが出来た。(具体的には、職業訓練、就労支援、ひとり親世帯に対する保育サービスなど)

 

 他方、学校にも同様にトランポリンのようなセーフティーネットが必要である。

 

 生徒が何らかの理由で学校生活に支障がでた場合、不登校に依存するのではなく、学校のセーフティーネットに依拠しながら再び元の学校生活へと戻れるような仕組みや環境、例えば、↓↓↓

学校に取り入れたい仕組み - 社会と心を考える

「支える側」と「支えられる側」 - 社会と心を考える

 

  しかし、このような取り組みは教師から「さぼっている、甘えている」というマイナスなイメージで受け取られているように感じる。このような取り組みがそうではないことを確認しつつ、問題を抱えた生徒にとって必要不可欠な措置であると認識しなければならない。

 

 少なくとも仕組みが複雑でない学校内においてこのような包摂型の施策は十分に効果を発揮すると考えていいだろう。