社会と心を考える

研究します

大学1年生は権威主義からの脱却

思ったことを適当に。

大学に入って気づいたことがある。

 

大学は小中(義務教育)高と違って受け身だと有意義な大学生活は送れないという言葉は入学する前もした後もよく聞く。

 

高校までは先生の言う事を順守していればベルトコンベヤーのように自動的に進学できたし、どの学校に行こうがその先の将来にさほど影響はなかった。

 

しかし、どうだろう。

 

大学に入ると社会の現実に向き合う機会が増え、物事を自分で選択し行動しなければならなくなってしまった。

 

そこで今まで培ってきた自分の姿勢とのギャップに悩まされる。心身に困難を抱えている者は特に厳しい。それは生きづらさを抱えているも社会から注目すらされない普通と障害のはざまに位置する軽度の発達障害を抱えた人々たちである。中途半端な存在として、何か公的な制度としてのセーフティーネットの恩恵を受ける機会もなく、ただ自身の生きづらさに違和感を感じながら社会からは健常者として扱われ、躁鬱病のように上と下を行き来しながら過ごす彼ら。

 

今までは権威あるものの言葉に従っていれば人生は上手くいくと、ある意味洗脳されていたかもしれない。

 

自分のなかの権威主義との闘いでもある。

 

 

学校のセーフティーネット

旧来型のセーフティーネットについては、その給付水準を過大視して、困窮した人々が横たわることができる「ハンモック」のようなものと受け止める有権者の公的扶助観があったためこのようなレジームは支持されなかった。

これに対して、包摂型の施策は、しばし用いられる比喩を借りれば、これまでのセーフティーネットの弾力性を強め、「トランポリン」や「スプリングボード」にしていく、と主張する。 

引用:(宮本太郎 「転げ落ちない社会 困窮と孤立をふせぐ制度戦略」)

  

 つまり、(旧来の)公的扶助を受ける人達がセーフティーネットに依存してしまう、また、依存させてしまう。というマイナスなイメージが有権者の公的扶助観であった。

 

 それに対して、近年の包摂型の施策は、例えばイギリスが掲げる「福祉から就労へ」というように、公的扶助に依存していた人たちが自立できるよう、また、させるようなやや選別主義的な制限付きの環境を作ることで、彼らを再び社会に取り込むことが出来たため、有権者からのマイナスなイメージを払拭し支持を得ることが出来た。(具体的には、職業訓練、就労支援、ひとり親世帯に対する保育サービスなど)

 

 他方、学校にも同様にトランポリンのようなセーフティーネットが必要である。

 

 生徒が何らかの理由で学校生活に支障がでた場合、不登校に依存するのではなく、学校のセーフティーネットに依拠しながら再び元の学校生活へと戻れるような仕組みや環境、例えば、↓↓↓

学校に取り入れたい仕組み - 社会と心を考える

「支える側」と「支えられる側」 - 社会と心を考える

 

  しかし、このような取り組みは教師から「さぼっている、甘えている」というマイナスなイメージで受け取られているように感じる。このような取り組みがそうではないことを確認しつつ、問題を抱えた生徒にとって必要不可欠な措置であると認識しなければならない。

 

 少なくとも仕組みが複雑でない学校内においてこのような包摂型の施策は十分に効果を発揮すると考えていいだろう。

「支える側」と「支えられる側」

 福祉国家としての新しい在り方について議論が深まる中、それまでに困窮や格差を改善するためあらゆる政策がなされてきたことはご存じだろうか。

 

 1970年代アメリカで始まった「支えられる側」を焦点とした選別主義的な社会保障政策(特定の弱者が対象の中心となる)は「支える側」の反発を招き、結果的に格差を拡大させてしまった。

 

 一方、スウェーデンでは経済成長の恩恵が、「支えられる側」である下層の人達へ行きわたるよう再配分する仕組み、つまり普遍主義的な社会保障制度(特定の弱者がだけが対象とならない)を構築し、「支える側」への社会保障、例えば公共サービスと呼ばれる保育や介護サービスを拡大することで、「支える側」の普遍主義的な社会保障制度への支持を高め、結果的に下層への社会保障費が拡大され困窮や格差の改善につながったのである。

(支える側は中間層が多く納税者でもあるから、政治を握る中間層からの支持を得ることで政策が成功した。あと、中間層を社会的に保護する仕組みがあったため、安定した社会保障制度を築くことが出来た)

 

 このような話から分かることは、「支えられる側」つまり弱者を支えることだけを意識した仕組みでは、「支える側」の負担を増やし反発を招いてしまい、結果的に支えるべくして支えられなくなってしまうということである。

 

 他方、教育現場でも同じ現象が起きている。支えられる側である生徒が保護の中心となった仕組みが進められることで、支える側である教師を保護する仕組みが相対的に脆くなり(長時間労働)、結果的に生徒に影響を与えてしまうことになった。(いじめの増加など)

 

 支える人を中心とした仕組みの構築、例えば教師の働き方改革を前面に出すことを大前提とした学校運営が必要ではないだろうか。

トップダウン型の支援ではなく、公務支援システム、教務事務支援員や部活動指導員を導入して多数の人達で一人の教師を支えるボトムアップ型の支援が必要である)

 

 参考文献:(宮本太郎「転げ落ちない社会 困窮と孤立を防ぐ制度戦略」 2017)

学ぶ力

「学び」という営みは、それを学ぶことの意味や実用性についてまだ知らない状態にもかかわらず、これを学ぶことがいずれ生き延びるうえで死活的に重要な役割を果たすことがあるだろうと先駆的にに確信することから始まります。

つまり、「学ぶ力」とは、自分にとってそれが死活的に重要であるということをいかなる論拠によっても証明できないにもかかわらず確信できる力のことです。

引用:(内田樹『日本辺境論』)

   

 

 内田氏は学ぶ力とは、学ぶといいことがあるという報酬の約束で形づくられるのではなく、将来自分が生きていくうえで死活的に重要という「切実さ」が学ぶ意欲を発動させると言います。

 

 分かりやすく言えば「危機感」ではないでしょうか。

  私も実際のところ、(勉強の楽しさもあったが)危機感を原動力にして生きてきました。では、その「危機感」という内発的な動機付けはどのようにして生まれたのでしょうか

 

 それは、NHKの貧困についてのドキュメンタリー番組でした。

 

 今不確実なのにどうやって見えない未来を確信することが出来たのかというと、リアルを自分の目で見るという事でした。自分と貧困者を相対的に比較することで生まれた、「自分がどれほど恵まれているのか」という感情は、今まで見たこともなかった貧困の恐ろしさへの抵抗感や拒絶感といた感情に繋がりました。

 

 それらが危機感に繋がっていったと思われます。

 

 今、学校では

学校に取り入れたい仕組み

中学、高校に取り入れたい仕組み。

例えば、健康診断はあるもののメンタルヘルスについてはまだ甘いと思う。スクールカウンセラーや学校弁護士はいるが。。

 

1.自助を前提とした互助、共助を理念とした学校包括ケアシステムの構築。

2.青年期は受験や就学など特にライフイベントのリスクが重なる時期。

 

「心身相関を基本としたメンタルヘルス

(特に生活習慣。学業不振に繋がりかねないスマホ依存症)

 

スクールカウンセラー社会保障、学校内での地位の向上」

(学校内での生徒のメンタルヘルスに関わる権限を集中させる。)

 

「教師の長時間労働改善」

(生徒に目を配る時間を増やすために、部活指導員、教務事務支援員、ITの活用、つまり無駄な業務を減らす)

 

「教師や学校側への心理教育」

(教師や学校が子供のメンタルヘルスの重要性を知る機会を作る)

 

「生徒自身が負担するリスクを分散する仕組みの構築や支援」

(長期休みが終わり新学期が始まる日やメンタルヘルスが損なわれやすい冬など小規模なライフイベントも含めて生徒にリスクが集中する時期を中心的に。つまり、日頃のメンタルヘルス対策もこの重要な時期が基準となるということ。メンタルヘルス対策の水準向上を図るため。)

 

「問題への対処の工夫」

不登校の原因となっている学業不振を防ぐため、断片的に理解しようとする詰め込み式教育をやめる。生徒が勉強に遅れても追いつける仕組みに。つまり、トランポリンのようなセーフティーネット

(例えば、心理士資格を持ったスクールカウンセラーが生徒に対し一時的な診断を下して、それに応じて担任教師が生徒への学習課題を一時的に減らすとか、二次被害が出る前に生徒への負担を減らして対策)

(新学習指導要領も関わってくるのでこの話はまた今度)

 

このほかにも、スクールカウンセラーの常駐や、質の向上、その他にも、以前の記事にも取り上げたが、「学校」「生徒」「地域の大人」が三位一体となった取り組み、交流や閉鎖的ではなく地域に広く開かれた学校etc...

www.city.itabashi.tokyo.jp

マクドナルド難民

今朝トレンドになってたマクドナルド難民について。 

 

 この記事で特徴的だったのが、「人脈が貧困で周りに頼る人たちがいない」って内容。

 

 互助の重要性についてもう一度考えてみてほしい。

 


headlines.yahoo.co.jp

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